ナショナルJOBA Ride 照月湖CEI 160kmエンデュランス馬術大会
■照月湖100マイル・ライド(Endurance.netより翻訳)
contents

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1 ハル・ホールより
開会のあいさつ


2 日本における
エンデュランス

3 ベト・チェック

4 トレイルがオープン

5 万騎峠

6 佐々木が1位でゴール

7 2位はアン・ホール

8 照月湖のモンスター

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2.日本におけるエンデュランス
【翻訳】
日本におけるエンデュランス
 木曜の午後、雨は降り続いていた。照月湖100マイルライドが現実のものになっていく。私が今いるのは、会場であるアラビアンホース・ランチのオフィス兼集会室。今日の午後はFEIの肩のこらないセッションが行われている。FEIからJEF(日本馬術連盟)へのプレゼンである。ライダー、トレーナー、FEIの運営に興味のある人は誰でも参加できる。FEIエンデュランス入門講座、といったところだ。日本でエンデュランスがスポーツとして成長してくるにつれて、世界のFEI大会に出場してみたいという願いも高まってきた。それは同時に、日本でFEI大会を運営できる人々を養成すべき時期を迎えた、ということでもある。このセッションには、そうしたプロセスを開始しようという意図が込められいる。

 この週末のライドのために集まった人の多くは、日本におけるエンデュランスの発展に尽くしてきた人々である。日本のエンデュランスのあけぼのは1990年代半ば、楠山薫二郎氏や新庄武彦氏のような少数の熱心な人々によって始まった。彼らは米国やオーストラリアに見学に出かけた。この2つの国は、世界の2大クラシックレースとして知られるテヴィスカップとトムキルティ・ゴールドカップを開催する、エンデュランスのメッカである。

 1996年、オーストラリアではボブ・サンプル(今回も招待選手として来日)が、「いつかはトムキルティに」と願う勇猛果敢な一行を迎えた。ボブは彼らをスノーウィ・リバーへのライドに誘い、このスポーツの過酷さを体験させた。同じ時、米国ではハル・ホールが彼らを案内した。ハルは米国最高のエンデュランス・ライダーのひとりで、20を越えるテヴィス・バックルを持つ(最初の優勝はなんと15歳)。ハルとアンのホール夫妻も、今大会の招待選手である。

 ボブ・サンプルは、1996年に北海道で開かれた日本初のエンデュランス50マイル・ライドの折にも来日している。今回これらのメンバーが日本で集ったのは、非常に特別なことだ。火曜の午後、JEF主催のシンポジウムが東京大学農学部で行われ、ハル・ホールはエンデュランスとともに歩んだ自分の歴史と馬たちについて語った。ベッキー・ハートは、1990年のエンデュランス世界選手権ストックホルム大会のビデオを見せながら、自らの世界選手権の経験を語った。
マイク・トムリンソン、ボブ・サンプル、コニー・クリーチ、ダイナ・ロジェック・・・エンデュランス・ライドにとって伝説的な、そうそうたるメンバーがこの一室にいる!私は猛烈に感動していた。日本の人々がこれらの巨人たちによってエンデュランスというスポーツに導かれるとは、なんと幸運なことであろう。彼らはその深い知識、何千マイルもの経験、このスポーツへの今なお衰えぬ情熱、生涯を賭けた献身をもって、日本の人々のために力を尽くそうとしているのだ。しかも、うれしそうに、わくわくしながら。

 私が集会室の隅でこれを書いているのだが、注意は絶えずマイク・トムリンソンの話に引き寄せられる。彼は、このスポーツの国際的な発展、問題点、歴史について語っている。すごく面白い。ベッキーとダイナが次に控えている・・・

(ステフ)

【本文】 Thoughts and Startings
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